N.Y.ジャズ見聞録 

 第31 IAJE 年次総会 (国際ジャズ教育者協会) in ニューヨーク

"The Big Apple - Jazz to the Core" Part 4

Saxophone Summit
Featuring David Liebman, Michael Brecker & Joe Lovano

 IAJEも佳境に達した3日目の深夜、スペシャル・コンサートが催かれた。デイヴィッド・リーブマン(ts,ss)、マイケル・ブレッカー(ts)、ジョー・ロヴァーノ(ts)の、現代サックス・シーンを代表する3人のマエストロによる、サキソフォン・サミットである。この壮大なるコルトレーン・トリビュートを、リポートしたい。


デイヴィッド・リーブマン

 プロジェクトの主導するデイヴィッド・リーブマンは、1946年ニューヨーク市ブルックリン区生まれ。12才でサックスを手にし、多感なティーンエイジャー期にマンハッタンのジャズ・クラブ、バードランド、ヴィレッジ・ヴァンガード、ハーフ・ノートなどに出演していたジョン・コルトレーン(ts,ss)を聴き衝撃を受け、ミュージシャンへのステップを登り始めた。60年代後半から70年代初頭にかけて、マンハッタンのロフトでフリー・ジャズ・セッションに、明け暮れる日々を過ごす。当時からリーブマンと親交があった故日野元彦によると、一緒にセッションに行くと、チック・コリア(p,kb)や、デイヴ・ホランド(b)、レニー・ホワイト(ds)、スティーヴ・グロスマン(ts,ss)ら、マイルス・デイヴィス(tp)・グループのメンバーや、ブレッカー・ブラザースが集まり、刺激的な演奏がいつも繰り広げられていたとのことだ。69年にジョン・コルトレーン・クアルテットのオリジナル・メンバーのエルヴィン・ジョーンズ(ds)のジャズ・マシーンに起用されて注目を集め、70年から74年まで、サイケデリック・ファンク時代のマイルス・デイヴィス・グループの中枢を担う。70年代後半からは、若き日のジョン・スコフィールド(g)、ケニー・カークランド(p,kb)、日野皓正(tp)らを率いた自己のグループ、盟友リッチー・バイラーク(p)とのクァルテット・プロジェクト「クエスト」や、デュオを中心に活躍した。80年代には、パフォーマーのみならず後進の指導にも力を注ぎ、ジョン・コルトレーンの奏法研究の第一人者として認められている。89年に、International Association of School of Jazz( IASJ、国際ジャズ・スクール協会)を設立、アーティスティック・ディレクターに就任した。91年には長年のコルトレーン研究と、自己の演奏活動の成果を、A Chromatic Approach to Jazz Harmony and Melody "(Advance Music)として上梓し、コルトレーンの60年代クァルテット、ウェイン・ショーター(ts,ss)、ハービー・ハンコック(p)、トニー・ウィリアムス(ds)を擁したマイルス・デイヴィス・クインテットを、ロジカルに分析、解説した理論書として高く評価されている。


マイケル・ブレッカー

ジョー・ロヴァーノ

 複数のサックス・プレイヤーによる、コルトレーン・トリビュートというアイデアは、1987年に遡る。東京で催かれたライヴ・アンダー・ザ・スカイの、コルトレーンの没後20年を記念したトリビュート・コンサートで、リーブマンは、ウェイン・ショーターと共演する。ショーターは、50年代後半にコルトレーンとともにトレーニングを積むなど多くの時間を過ごし、最も早くコルトレーンの影響を受け、脱却し自己のスタイルを確立したアーティストだ。サックス・バトルにとどまらない可能性を持つユニットのコンセプトは10年の時を経て、97年やはり日本で催かれたライヴ・バイ・ザ・シーのコルトレーン没後30周年コンサートでの、ジョシュア・レッドマン(ts,ss)、マイケル・ブレッカーとの共演で確信にいたる。ジョー・ロヴァーノも出演も検討されていたが、それは98年のイスラエルに於ける紅海ジャズ・フェスティヴァルで実現し、リーブマン、ブレッカー、ロヴァーノが勢揃いする。その後、NYのジャズ・クラブ、バードランドや、シンフォニー・スペースでのコルトレーン・トリビュート・コンサート、カナダのモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルなどの、コンサートを重ね、2003年秋に、ヨーロッパで2週間13カ所9ヶ国のコンサート・ツアーを行い、グループとしてのサウンドもタイトに確立された。このコンサートの1週間前にレコーディングを終え、今秋テラーク・レーベルからアルバム「インディア」としてりリースされる予定の、構想17年、製作に7年をかけた大プロジェクトである。

 この日のコンサートは、近くのジャズ・クラブ、イリディアムにパット・マルティーノ(g)・グループに参加していたジョー・ロヴァーノのため深夜12:30からのスタートであったが、シェラトン・ホテルのインペリアル・ホールは超満員で、3人の登場を待っていた。大きな拍手に迎えられて、ミュージシャン達がステージに現れる。リズム陣は、大ベテランのセシル・マクビー(b)、ビリー・ハート(ds)のヘヴィー級コンビネーションに、90年代にリーブマンと行動をともにしている、端正なタッチのフィル・マーコウィッツ(p)だ。フロントを固める3人のサミッター達、マイケル・ブレッカーは、リーブマンと並ぶコルトレーン派の俊英として、70年代からジャズ・シーンに君臨。兄ランディ・ブレッカー(tp)との、ブレッカー・ブラザースや、ステップス・アヘッド、パット・メセニー・80/81・グループ、ポール・サイモン(vo,g)、ジェイムス・テイラー(vo,g)など数々のポップス・セッションでも活躍し、80年代半ばからは自己のグループも率いているカリスマ・ホーンである。ジョー・ロヴァーノは、80年代からメル・ルイス(ds)・オーケストラや、ポール・モチアン(ds)・グループで活躍した。バークリー音大時代からの親友ジョン・スコフィールドのグループを経て、90年代に入ってから様々なフォーマットの自己のグループを結成し、ダウンビート誌の批評家投票でも常に上位に名を連ねて、遅咲きの大輪の花を咲かせた、今もっとも注目されるプレイヤーだ。


ビリー・ハート


セシル・マクビー

フィル・マーコウィッツ
 

 1曲目は、ロヴァーノのオリジナル・チューン「アレキサンダー・ザ・グレイト」。50年代半ばのプレステッジ・レコードにリーダー作を残していた当時のコルトレーンを思わせる、ハード・バップ・スタイルの中にコルトレーン・チェンジをもつ曲で、まずは互いのお手並み拝見といったところだ。テナー・サックスのブレッカーと、ロヴァーノに対して、リーブマンはよりフットワークの軽いソプラノ・サックスで対抗し、コントラストを描いている。3人はサックスを置き、バンブー・フルートに持ち替える。エスニック調のアンサンブルの果てに浮かび上がったのは、コルトレーンの「インディア」だ。かつてチャールス・ロイド(ts)・クァルテットのボトムを支えた、マクビーとハートが、カタパルトのような噴射力でマエストロ達をプッシュする。再びサックスを手にし、メカニカルなブレッカー、アブストラクトなリーブマン、スピリチュアルなロヴァーノと、3者3様のコルトレーン観で激論を闘わした。美しいバラード「アフター・ザ・レイン」も混沌と展開し、フリー・ブローイングへと突入する。コルトレーン晩年の問題作「アセンション」を思わせる集団即興となり、様々なモチーフがタペストリーのように浮かび上がっては消えていく。60年代のロフト・セッションを再現は、このプロジェクトがサックス・バトルにとどまらず、コルトレーンが志し半ばで倒れた集団フリー・インプロヴィゼーションの可能性を、探求している。40年の時を経て、継承者達の道のりは、まだ長く険しい。


異世界に誘うバンブー・フルート・アンサンブル

(1/24/2004 於 Imperial Room, Sheraton Hotel,NYC)


関連ウェッブサイト

David Liebman
http://www.upbeat.com/lieb/

Michael Brecker
http://www.michaelbrecker.com/

Joe Lovano
http://www.joelovano.com/