N.Y.ジャズ見聞録 

Farewell to
Toshiko Akiyoshi
Jazz Orchestra

@ Birdland, NYC, Dec. 2003

 2003年に結成30周年、NY移転20周年を迎えた穐吉敏子ジャズ・オーケストラだが、10月のカーネギー・ホール公演前に、年内での活動休止が発表された。アメリカでもNO.1の人気を誇ってきた名門ビッグバンドの、突然の休止宣言にとまどいを覚えたが、11月の日本ツアーを終えて、ホーム・グラウンドのクラブ、NYのバードランドに帰ってきた。いよいよ解散までのカウントダウンが始まったマンディ・ナイトのライヴをリポートし、集大成のこの一年、栄光に包まれた30年を振り返りたい。

 1973年にロスアンジェルスで、夫君のルー・タバキン(ts,fl)のサポートで、週1回のリハーサル・グループとしてToshiko Akiyoshi = Lew Tabackin Big Bandが、スタートした。デューク・エリントン(p)の音楽が、彼自身とアフロ・アメリカンの歴史を投影していることに感銘を受け、アメリカの音楽であるジャズを通して、穐吉自身の日本人としての歴史を、オーディエンスに伝えたいという信念で結成されたのである。その一年後、72年にフィリピンで発見された、旧日本陸軍の小野田寛郎氏に捧げる「孤軍」をレコーディング、日本の伝統芸能とジャズを融合させた独自のサウンドを確立し、大ヒットとなる。76年に、アメリカの権威あるジャズ専門誌「ダウンビート」の国際批評家投票で、ビッグバンド部門、アレンジャー部門の一位に輝いてから常に上位にランキングされ、日本のみならず、全米、ヨーロッパ各地のジャズ・フェスティヴァル、コンサートに招聘されている。83年にニューヨークに拠点を移し、グループ名をToshiko Akiyoshi Jazz Orchestra featuring Lew Tabackinと改め、新たなスタートをきった。


ルー・タバキン

結成以来コンスタントに20作を越えるアルバムを発表、15回に及ぶグラミー賞ノミネート、99年には国際ジャズ名誉の殿堂入りを果たす。たくさんのボールルーム(大型ダンス・スペース)が軒を連ね、出演ビッグバンドが競い合っていたゴールデン・ジャズ・エイジの20〜40年代から時代は下り、大編成のビッグ・バンドを恒常的に維持するのが難しくなっていた70年代以降に、華々しい成功を収めた、この世界有数のビッグバンドが、いよいよその歴史に自ら幕を引く。

 よいミュージシャンは常にチャレンジングで、そんな彼らに支えられてきたことを感謝したいと、穐吉は30年間を振り返った。穐吉敏子&ルー・タバキン夫妻に、もっとも印象に残る思い出について聞いてみた。まずは76年の、ビッグバンドでは、はじめての日本凱旋公演を、2人とも語ってくれた。中野サンプラザ・ホールでの、アンコールが鳴りやまぬ3時間に渡るコンサートは、このオーケストラの大きな一歩をしるした。97年のモントレイ・ジャズ・フェスティヴァルも、モニュメンタルなイベントである。偉大なる先達として、目標としてきたデューク・エリントンへのトリビュート作品の依頼を受けての出演であった。そして30周年の2003年は、そのキャリアの集大成となったもっとも印象的な一年である。1月に、若手アレンジャーのマリア・シュナイダー・オーケストラとのジョイントで、プレミア作品「ドラム・コンファレンス」を発表したリンカーン・センター出演、3月のデトロイト・シンフォニー・ホール、5月のワシントンDCのケネディ・センターでのコンサートを成功させ、10月のカーネギー・ホールでの30周年記念コンサートでは、2001年の8月6日に広島で追悼演奏された大作「ヒロシマ〜そして終焉から」のアメリカ・プレミア・パフォーマンス、11月の2年ぶりのビッグバンドによる日本ツアーと、円熟の極みでのフィナーレをむかえた。レギュラーのオーケストラ活動停止の理由を問うと、原点に立ち返り、ビ・バップ・ピアニストとしての自己を、さらに追求するためと、穐吉は語った。

 1998年から、毎週月曜日の夜に出演しているバードランドでのギグも、余すところあと3回となった。日本ツアーでしばらく留守にしたあとの、久し振りの登場だ。ホーム・グラウンドでのパフォーマンスは、大ホールでのフォーマル・スタイルや、ツアーのアウェイ演奏よりも、カジュアルでリラックスしている。「ロング・イエロー・ロード」と並ぶ、穐吉のテーマ曲「ストライヴ・フォア・ジャイヴ」で始まるファースト・セットは、いつもと変わらず心地よくスウィングする。90年代の代表作「デザート・レディ・ファンタジー」からの曲を中心に演奏された。ルー・タバキンの豪放なテナーと、繊細でありながら力強いフルートは、このオーケストラを30年もの間、激しく、美しく鼓舞し続けてきた。フロントラインを飾るテクニシャン揃いのサックス陣は、フルート、クラリネットの持ち替えを難なくこなし、サウンドに多彩なカラーリングを施している。トランペット、トロンボーン、和太鼓のようなアプローチも叩くドラムスと有機的に溶け合って、極上のアンサンブルを聴かせてくれた。長いツアーのあとで、サウンドはさらにタイトにまとまっている。トラディショナルなスウィングでは、スリリングなインタープレイを聴かせ、全員が一体となるソリ・パートでは、ジャズの中でもっともゴージャスで贅沢なビッグバンド・サウンドの醍醐味を、堪能した。穐吉のドラマティックな構成のオリジナル曲も、輝きを増している。。エンディングはタバキンの朗々としたテナーが、リードをとり抒情的なソロを展開する、「ヒロシマ〜そして終焉から」のエンディング・チューン「ホープ」だ。オーディエンスとオーケストラの別れを惜しみつつ、再会を予感させる余韻が残った。


スティーヴ・アーマー


ジム・スナイデロ

 


ジム・オコーナー

 今後は、トリオ、ソロでの活動が中心となる穐吉だが、封印されるにはあまりに惜しいオーケストラでの活動について聞いてみた。パーマネント・グループとしてのビッグバンドを再結成することは、あり得ないが、イベントでの一時的なリユニオンの可能性は示唆している。2004年の9月には、シカゴで地元のミュージシャンを指揮して、オリジナル作品を演奏する。10月には東京都目黒区の招聘で、コンサート・シリーズをプロデュースするが、その一環でセクステット(6人編成)のコンボと、大分県庄内地方の雲取神楽のコラボレーションを企画している。これは、2003年の11月に庄内で催いた、伝統芸能の雲取神楽とビッグバンドのコラボレーション・コンサートを、凝縮したヴァージョンとのこと。2005年には在米生活50周年をむかえ、穐吉敏子の”ジャズと生きる”長い道は、さらに華やかで盛大なフィナーレへと続く。

(12/15/2003 於 Birdland, NYC)

関連リンク

Birdland
http://www.birdlandjazz.com/